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「ふぐ」のうんちく

ふぐは江戸時代に食べる事が禁止だった?その全貌をご紹介

– ふぐは江戸時代に食べる事が禁止だった?その全貌をご紹介 –

ふぐは、縄文時代から人々に食べられていたと言われるほど、長年の歴史がある食材です。現代では、ふぐは高級品として扱われていますが、江戸時代では庶民に非常に愛された食材でした。しかし、ふぐは猛毒性のある食材なため政府が様々な禁止令を定めます。しかし、ふぐは禁止令を解いてしまうほどの美味しさ、魅力がありました。今回は、江戸時代から遡って、ふぐについてご紹介します。


江戸時代はふぐを食べる事が禁止だった?

ふぐの歴史は江戸時代に以前にもあり、それは縄文時代から始まります。貝塚と呼ばれる当時のゴミ箱から、ふぐの骨がたくさん発見されたと言われています。約2万年前以上から、ふぐは身近にあった食材だったようです。

しかしながら、ふぐはその後食べることを禁じられてしまいます。それは、1592年に豊臣秀吉による文禄の役の朝鮮出兵が施行された時でした。佐賀県北部に終結した武士達が、ふぐを何も知らず食べた所、多くの兵士がふぐに含まれる毒により犠牲になってしまったのです。
では、ふぐにはどのような毒の成分が含まれているのでしょうか?ふぐには、「テトロドトキシン」と呼ばれる強毒を含んでいます。テトロドトキシンとは、青酸カリの約500〜1,000倍ある猛毒です。この、テトロドトキシンは体内に一度入れると、約4~6時間ほどで死亡してしまうほど強力です。ふぐの毒の部分を体内に摂取してしまうと、唇や舌が軽く痺れ始めます。その後、嘔吐が起き、知覚麻痺、言語障害、呼吸困難などの症状が現れます。その後、全身が完全麻痺してしまい、意識消失や呼吸停止が起こり、心肺停止により死に至るとされています。それらの症状については、食後20分〜3時間程で現れるため、ふぐに含まれているテトロドトキシンの猛毒性が分かるでしょう。また、テトロドトキシンの解毒剤はまだ存在せず、当たってしまうと1日の内に毒が回り死に至ってしまうのです。
この出来事により、豊臣秀吉は「この魚食うべからず」と、日本初のふぐ禁止令が発布されました。この歴史が、江戸期によるふぐ禁止令のきっかけと言われています。


江戸時代のふぐ禁止令の内容とは

どのような禁止令だったのでしょうか。それは、「河豚(ふぐ)食禁止の令」というものが発布されました。その後、江戸時代では武士に対してふぐを食べる事の禁止令が発布されています。
基本的に、禁止令は江戸庶民全体に発布されたと言うよりは、むしろ武士が対象になっていたようです。その禁止令を破った武士は「家禄没収」や「家名断絶」などの厳しい罰が制定されていたようです。
では、なぜ武士が対象に禁止令が発布されたのでしょうか?それは、武士は国や藩を守る役目があります。それにも関わらず、ふぐと引き換えに命を落とすというのは許され難い行為だったようです。また、吉田松陰はふぐ食に対して批判的な文書を残したとも言われています。一部の人達にとっては、ふぐに対しての印象は悪かったのです。
しかしながら、庶民は武士とは対照的に、江戸時代に密かにふぐを楽しんでいました。江戸時代は、魚の食文化が発達した時代でもあり、「料理物語」という書物に「ふくとう汁」と呼ばれる料理が記録されています。
「ふくとう汁」は、味噌や醤油で味付けした汁に、ニンニクと茄子を入れた料理のことです。松尾芭蕉や小林一茶など江戸時代を代表する俳諧師も、河豚料理を季語にした俳句を残しています。
しかし、両者のふぐに対する意見は対称的でした。まずは二人が読んだ俳句を見てみましょう。

【松尾芭蕉】
・あら何ともなやきのふは過ぎてふくの汁
・河豚汁や鯛もあるのに無分別

この俳句を見ると、ふぐよりも鯛を食べたほうが良いというニュアンスを感じられますね。ふぐに含まれる猛毒に対して恐れをなしていたようです。

【小林一茶】
・五十にて河豚の味を知る夜かな
・河豚食わぬ奴には見せな富士の山

松尾芭蕉の俳句とは対称的で、ふぐを食べた感動を表していますね。ふぐを食べない人は富士山を見る資格はないとまで言っています。ただ、代表的な俳諧師がふぐついて詠った事によりふぐが一般的な料理へと、より庶民へ根付いていきました。


地域別に見たふぐについて

ふぐと言えば、山口県下関市を思い浮かべるのではないでしょうか?なぜ下関市と連想が強く感じるのかというと江戸時代以降の歴史に答えがあります。

それは、明治時代に起こります。江戸時代から続いていたふぐの禁止令により明治時代においても、ふぐを食する事を政府が禁止していました。
ふぐによる中毒が絶えなかったため、1882年に「河豚食う者は拘置科料に処する」と、発令をしています。
しかしながら、1888年に初代内閣総理大臣である伊藤博文が下関の春帆楼を訪問します。そこで、当時禁止されていたふぐを春帆楼で食べると、その味に感激し、山口県下ではふぐを食べる事が解禁されたのです。

その後、下関にはふぐ料理店が多く作られたため、ふぐ料理と言えば山口県下関と言われるようになった所以です。
ふぐ食が気兼ねなく食べられるようになりましたが、ふぐは猛毒を含む食材です。その分、様々な条例が制定されるようになりました。その後、ふぐ調理師試験が行われ、より安全に美味しくふぐを食べられるようになったのです。
それがきっかけで、下関では、ふぐの事を「ふく(福)」と呼びます。ふぐは下関によく集まるため不遇ではなく、「福」をもたらしているとも言われるようになりました。
山口県にとどまらず、大阪府はふぐの消費量で有名になり、愛知県ではふぐを観光名物として取り上げています。
また、石川県や香川県、福岡県で漁獲されたふぐはそれぞれブランド化しています。平成28年のふぐの漁獲量調査によると、

1位北海道698t
2位島根県509t
3位石川県473t

で、北海道が日本で一番ふぐがシェアされています。
このように、ふぐは今や山口県にとどまらず、全国で注目を集め取り扱われる食材になりました。

現代だからこそふぐを堪能しよう

江戸時代とは異なり、現代では、ふぐを食べるのに制限も危険性を考慮する必要もなくなりました。それは、様々な法律の制定、調理者の努力によって作り上げられました。

現代では、ふぐを堪能する事が可能です。ふぐは刺身や唐揚げ、鍋など様々な調理方法があり、食べ方があります。

繊細であり、深みのあるふぐの味わいを最大限に味わってみてはいかがでしょうか?